武雄市は全国的には少ないと思われる、流鏑馬が行われる神社が2社ある街です。
1つは黒髪神社、永万元年(1165)から奉納されたと伝えられています。もう1つは武雄神社、黒髪神社からおよそ20年遅れた寿永3年(1184) にはじまったと伝えられています。
このような伝統行事は規模の大小の差はあれ、地域に1つはあるものです。このような行事を通じて地域のアイデンティティが育まれ、また、地域の人々の結束を高めることにもなるのではないでしょうか。
特に子ども達にとっては一時的に他所に憧れ、他所で暮らすようになっても、故郷の大事な原風景として心に刻まれることでしょう。地域に残る子ども達にとっては自分たちが大人になってから次の世代へバトンタッチしていくべき大切なものとして心に刻まれることでしょう。実際そのようにして、およそ850年もの間連綿として受け継がれてきたのです。
そのような意味で地域の伝統行事の果たす根源的な役割は決して軽くはない、むしろそうであるからこそ守っていく、後世に伝えていくべき神聖なものとなっているのではないでしょうか。
さて、先日、武雄市議会で谷口議員からこのような発言があったようです。(伝聞形なのは現在武雄市議会のHPにある速記版議事録からはなぜか削除されているからです)
「武雄市図書館近くにある武雄流鏑馬用の馬場について、樋渡市長ら市の執行部が、武雄市図書館の混雑解消のための駐車場にしたいと武雄流鏑馬保存会・伝承会に申し入れをした」
私も目を疑いましたが、これを聞いた保存会・伝承会の方の中には激怒された方もいらっしゃったようです。
しかし、これは以前の図書館・歴史資料館が改修され、武雄の象徴である大楠の根元にできたほら穴を模した子ども達のお話の部屋がスターバックスになったことを考えれば、市の側としてはある意味自然な提案なのかもしれません。
かつてE・H・カーは言いました「歴史とは現在と過去との対話である」
対話するべき過去がなくなったとき、そこに現在あるいは未来は果たして存在しているのでしょうか。